2011年12月24日土曜日

隠れキリシタン墓??

1574年宣教師カブラルは塩飽島に到着して8日間滞在し島民に
布教した。宿の主人の妻が入信した。これが塩飽の最初のキリシタン
であった。織田信長、そして豊臣秀吉の初期は布教を許されていた。
1587年秀吉は伴天連追放令を出し弾圧をはじめる。
高山右近は大名の地位を捨て信仰の道を進んだ。このころ小豆島、塩飽を
治めていた小西行長は高山右近とその家族を小豆島にかくまった。
高山右近の父と妻子は小豆島からさらに塩飽へ移り隠れ住んだと
言われる(丸亀市史)。本島の十輪寺は昔からキリシタン寺と言い伝えられている。
今はもう崩れ落ち廃寺となって久しい。竹藪をかきわけて入ってみました。


                           十輪寺跡

いた


完全に崩壊している




この鍵十字はキリシタン墓でしょうか?
詳しい方、教えてください




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