2013年8月16日金曜日

木烏神社

木烏神社には立派な彫刻のほか
おもしろいものがあります。




見事な彫り物の
間にダイコンも




お伊勢参りと思われる
絵馬




本殿裏にある
狛犬

ぜったい、笑っている。

2012年10月25日木曜日

亀山古墳Ⅱ 伝承ですが・・・・・

以前 
甲生の亀山古墳に平家にまつわる話を
しましたが、つづきです。
屋島の戦いに敗れた平家はこの本島甲生に
立ち寄り女子供、負傷兵を浦長に預け壇ノ浦に
落ちていった。そして村人はその後亡くなった
負傷兵を古墳に埋葬して今日までねんごろに
祀ってきた。




さらに伝承ですが、こんな話が語り継がれています。
 
あの壇ノ浦で入水された安徳天皇は影武者で
実は本物はそのまま甲生に残られ匿われた
とか。しかし、その後病気になり亡くなった。
そしてこの古墳に同じく埋葬され祀られて来た。
実際、古墳を発掘した時、子供の人骨が出てきたとか


さらに、さらに、安徳天皇の乳母の墓が
少し離れた所にあります。


 
ここまで話が揃うと間違いないと思うのですが
どうでしょうか?

2012年9月9日日曜日

牛島 丸尾五左衛門

 丸尾家のお成り門
現在は移築されている
 
細川のお殿様を
お迎えするためだけに
建てられたとか

傷みがひどい
文化財に指定されれば

 丸尾の文字がみえる

極楽寺に寄進された
有名な無間の鐘

有名な話があります

2012年8月1日水曜日

千歳座芝居公演

本島千歳座の芝居公演が今日、行われました。
何ヶ月も準備を進めてきて何とか出来ました。
チケットも完売し、島の方々も大勢、詰め掛けました。
150年前に建てられた芝居小屋をなんとか活用
しなければ、また島の活性化に出来ないかとの
思いから計画しました。

観客席は境内のため遮光ネットを張っての
公演だ
暑かったが熱中症が出なくて
ほんとうに良かった




演目は井上ひさしの「父と暮せば」
二人だけの読み語り


皆さん熱心に聞き入っています


テレビの撮影も来ました

レポーターによる
インタビューも




内容は原爆の話で重いが
ユーモアもあり
お二人の俳優さんの演技力
が光ります



終了後の懇親会


2012年6月19日火曜日

千歳座芝居公演計画

本島町泊の木烏神社境内にある千歳座は1862年建立の歴史ある
芝居小屋です。直径7.9メートルの回り舞台も備えた江戸時代の
本格的な芝居小屋で泊地区の誇りでもあります。丸亀市の文化財
に指定されています。
しかし近年、ほとんど使われず、年一度の町内文化祭に使用するぐらいです。
島内外の人達からもったいないと、いつも言われています。
しかし丸亀市の文化財とはいえ自治会の所有でもあり、その維持管理は
たいへんなものです。
また、イベントをするにも高齢化が進み、なかなか人手も集まりません。
来年は瀬戸内国際芸術祭もあり、なんとか利用しようと島の皆さんが
芝居の公演を計画しています。

                千歳座(本島町泊 木烏神社境内)





芝居のポスター




申し込み方法

塩飽本島観光案内所に
お問い合わせ下さい
入金方法等を
FAXかメール便にて
お知らせいたします
先着150名

ご入金確認後
入場引換券を
お送り致します






2012年6月17日日曜日

塩飽勤番所

塩飽は豊臣秀吉の時代以降、人名(にんみょう)と称する
船方650人が共有する、いわゆる自治領となっていた。
そのなかの「年寄」と呼ばれる4人が塩飽の政務を執って
いた。最初のうちは「年寄」の自宅に領地所有の朱印状
を保管して一切の政務を執っていたが、寛政の島治改革を
機に寛政10年、この地に勤番所を新築して、新しく選ばれた
「年寄」が交替で政務を執るようになった。そしてこれが明治
維新までつづき、その後村役場、町役場、丸亀支所として
昭和47年まで使用された。
中は資料館になっており貴重な資料が展示されている。
秀吉ら5人の権力者の朱印状がそろっているのも珍しい。
入館料 200円 月曜日(祝日の場合は翌日)休館

                      重厚な長屋門




手前はお白洲



昔は牢屋だった
今は休憩所
昔の道具を展示



庭に植えられているソテツ
雌雄ある



屋根の瓦に「勤」の文字



昔の消火ポンプ



徳川家康の
朱印状


2012年4月15日日曜日

亀山古墳と飛坂神社(本島 甲生)

本島の甲生地区、亀山に亀山古墳と飛坂神社があります。
甲生の海岸沿いの道路を東に歩きつきあたりに
飛坂神社の石柱があります。
そこから山に上がっていくとお椀をふせたような頂上に
到達します。そこを亀山古墳といい、祠を飛坂神社と
呼んでいます。その昔、源平屋島の合戦の時、敗れた
平家が壇ノ浦に落ち延びる際、この本島 甲生に一時
寄りました。その際、女、子供、老人をこの島の長たちに
預け、本隊は壇ノ浦に向かいました。長たちは対岸の
乃生の浦に夜陰にまぎれかくまったと言います。
その後、戦死者たちをこの亀山に葬り代々弔ってきました。
少しまえに古墳を発掘した際、人骨や勾玉などが
出てきたそうです。また子供の骨もあったとのことです。
このことから、いろいろな伝説に近いような話がつたわっています。
それは、次回に。

                         飛坂神社の石柱



古墳の頂上にある