瀬戸内海・塩飽本島(しわくほんじま)
2010年12月12日日曜日
笠島人名の墓
塩飽は豊臣秀吉、徳川家康から650人の船方に1250石の領地を
認められ、その中から選ばれた四人の年寄によって一種の自治が明治
維新まで続いてきました。本島はその中心でその中でも笠島(島ではなくて
地区名)、泊が有力地域でした。そしてそこから多くの年寄が選ばれました。
もっとも、もともと有力者だったわけですが。下の写真はその年寄吉田彦右衛門の
墓で高さは3mにもなります。笠島,専称寺の前に建っています。
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